私の釣り暦
初めて釣り
小学校3年生くらいの時、親父に連れられて、ハゼ釣りをした。あまり、釣れなかったので、近くの漁協でイナダを買い、「大漁だったよ」と家で自慢した思い出がある。
小学生
4年生のとき、初めて、友達同士で釣りへ行った。場所は近くの川。安全ピンがハリである。もちろん、釣れなかった。その後、練りえさを使うようになり、フナ釣りに没頭。野球部に入っていたが、釣りへ行きたくて、やめてしまったこともあった。
中学生
裏が浜だったので、夏休み、毎日のように海へ行った。離岸テトラでアイナメを釣った思い出がある。アサリをとり、鉄板で焼いて食べたものだ。中学2年生ぐらいになって、釣りはしなくなった。
学生時代
勉学に勤しむ毎日。釣り所ではなかった。(笑)1回だけした思い出がある。それは、サークルの合宿で友達と2人で釣り大会をしたことだ。他の仲間は、女の子とボートに乗り、青春していたなあ。(そっちにすれば良かった。)釣り大会の結果、屈辱の敗北。今は、その友達に黒鯛釣りをやっていると話すと必ずその釣り大会のことを話し始める。一生の不覚だ。陸釣りについては・・・いや、やめておきましょう。
就職して
91年、最初の赴任地が柏崎。けれど、釣りには、興味が無かった。93年、弟が釣ったタコを食べ、こんなに美味しいなんて・・・と思い、釣りを再開する。最初は、アジ釣りから始まり、そこで、ある事件が起きる。忘れもしない間瀬漁港で・・・そう、置き竿が港に引きずりこまれたのである。これは、大物だと思い、パンツ一丁になって、海の中に飛び込み、竿をあげた。軽い。そう、船に持っていかれただけである。ケーソンからあがるところがなかなか、無く、大変だった。あがったら、中学生に笑われたことを今でも覚えている。いや、そのことを言いたかったのではない。そこから帰るとき、テトラでとてもかっこいい魚、真っ黒い体をした魚、そう、黒鯛である。釣っていた人がいた。とても、うらやましかった。これが、黒鯛釣りへのあこがれだった。
東港にて初釣果
柏崎で黒鯛を狙ったが1匹も釣れなかった。そこで、94年見附に勤務先が移った。どうしても、黒鯛をゲットするために、この年、絶好調だった落とし込みにてチヌを狙う。東港で3m落としたところで目印がするするすると引きこんでいった。アワセを入れるとすごい引きだ。ラインを2,3回送って、浮いてきたのは正真正面の黒鯛だった。しっかり、タモ入れ成功。タモのなかにチヌを入れ、堂々と自慢気に堤防を歩き、弟の所へ行ったことを覚えている。サイズは、20cm(笑)私にとっては、本当に嬉しい釣果であった。
初めてのチヌサイズ
カイズサイズは釣れるようになったが、どうしても、29cmどまり。まさに、リミテッド黒鯛。限りなく黒鯛に近いカイズである。95年、10月、ダンゴ釣りなるものを覚えた。浮きをつけて、ダンゴを投入。浮きがゆっくり消しこむ。合わせると沖へ走る走る。ボラだなと思い、強引にやりとりをするとチヌ。43cmあった。腹の中には、タコノマクラなどが入っており、とても、美味であった。寺泊砂防堤での釣果である。それから、東港の西堤でダンゴに夢中になる。ボウズは少ないが30cmいかないのが不満であった。その年の冬、北陸の釣りを読んで、前打ちをしようと決心する。
底取りの練習
96年は、4月に入ってからも、雪が降る寒い開幕であった。穴だらけのテトラ帯を軽いオモリで落としていく。フグのアタリあるのみ、1ヶ月過ぎた。しかし、底取りはしっかりできるようになってきた。弟と真鯛を釣ろうと姫川港へ行った帰り、直江津港の川筋で探る。竿先をひったくるあたり。間髪居れずにあわせを入れると暴れる物体。38cmのチヌである。ノッコミ後ということあって、引きが今1つであったが、それから、私の前打ち人生が始まった。